24時間テレビドラマ「絆のペダル」の主役:宮澤崇史のプロフィールなど

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24時間テレビのドラマスペシャルは「絆のペダル」という実在のロードレーサーをもとに作られたフィクションドランです。その主人公、宮澤崇史というロードレーサーはどんな人物なのか紹介していきます。



宮澤崇史とは

2001年の秋に母親が病に倒れ、その際に母に肝臓の一部を生体移植で提供しました。

このとき母自身は移植手術を受けなければ死に至ると宣告されながらも、息子の選手生命への影響を気遣って手術を受けないつもりでした。

生体肝移植を受けてトッププロまで復帰したロードレーサーは彼の他に見たことがありません。

2008年には北京オリンピック自転車ロードレース日本代表にまでなった、そんな奇跡を起こした男が宮澤崇史です。

宮澤崇史のプロフィール

本名

宮澤 崇史(みやざわ たかし)

愛称 ブラヴォータカシ
出身  長野県
生年月日  1978年2月27日
年齢  42歳
国籍  日本
身長  164cm
体重  61kg
所属  リオモ・ベルマーレ・レーシングチーム(監督)
分野  ロードレース
特技  スプリンター

プロ所属チーム経歴

2002 ブリヂストン・アンカー(日本)

2005 ブリヂストン・アンカー(日本)

2006 Team Vang(日本)

2007 梅丹本舗・GDR(日本)

2009アミーカチップス・クナフウ(イタリア)

2009EQA-梅丹本舗-グラファイトデザイン

2010チームNIPPO

2011ファルネーゼ・ヴィーニ

2012チーム・サクソ – ティンコフ

2014チームNIPPO-デローザ

主要レース

アジア選手権・個人ロード 2007

ツール・ド・北海道 2008-2009

ツール・ド・おきなわ 2006-2007

ツール・ド・台湾 2010 第3・4ステージ優勝

日本の旗 日本選手権・個人ロード 2010

ロードレーサーとしての歩み

  • 自転車競技選手として高校卒業後から渡欧
  • イタリアのチームに所属しロードレーサーとしての経験を積む
  • 23歳の時に母の命を救うため肝臓の半分を生体移植で提供、体力低下のため成績振るわず戦力外通告によりチームを解雇される
  • その後単身でフランスに渡り、アマチュアチームで再びゼロから経験を積み上げ、オリンピック出場やアジアチャンピオン、全日本チャンピオンなどの実績を重ねる
  • 34歳の時に世界で最もカテゴリの高いUCIワールドチームに所属
  • 在籍中にリーダージャージ(個人総合時間賞)・ポイントジャージ(スプリントポイント賞)に日本人選手として初めて袖を通した
  • 18年間の海外レース活動を経て、2014年に引退。
  • 現在、リオモ・ベルマーレ レーシングチーム監督
  • LEOMO.incウェアラブル端末のアドバイザー
  • 個人では、セミナー、医療・教育関連の講演会、パーソナルトレーナー、全国各地でサイクリングイベントを行っている

まとめ

宮澤崇史は23歳の時にロードレーサーとしての選手生命を絶つと同等の生体肝移植の手術をし、チームを解雇されました。

その後、8年後には北京オリンピックに日本代表として出場するという目覚ましい努力と活躍ぶりを発揮し、今でも監督やアドバイザーとなり活躍しています。

そんな奇跡を呼ぶ男が今回の24時間テレビのドラマスペシャルの主人公に選ばれました。

どんなドラマとして出来上がったのでしょうか。楽しみしていますので皆さんも見逃さないようにしましょう。

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※宮澤崇史さんに関する情報についてはこちらもご覧ください。
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