フジコヘミングさんは魂のピアニストと呼ばれています。フジコヘミングさんはいったいどんな人なのか、経歴やプロフィールについてお知らせします。また、すごい魅力はどこからくるのか、どんな音が人々を魅了するのか調べてみました。
フジコヘミングのプロフィール
本名 |
ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ |
生年月日 | 1932年12月5日 |
年齢 | 87歳 |
出生地 | ベルリン |
学歴 | 東京芸術大学卒業 ベルリン国立音楽学校卒業 |
ジャンル | クラシック |
職業 | ピアニスト |
レーベル | タギーレーベル |
フジコヘミングの経歴あらすじを簡単にまとめると
ヘミング・フジコさんの経歴について調べると、苦労した人生が長々とでてきますが、簡単にまとめてみました。
- スェーデン人の父と大月投網子というピアニストの母の間に生まれます。
- 5歳から日本で母に厳しくピアノを教えられて育てられました。
- 28歳から、ヨーロッパで苦労しながら単身で音楽科活動を続けて、徐々に有名になっていきました。
- 今でも全国各地ででコンサートを行い、世界中の人々に感動を与えている偉大なピアニストです。
魂のピアニスト、フジコ・ヘミングのすごい魅力
魂のピアニストと言われ、聞いている人々を魅了する力を持っています。
クラシックの専門家からみると、ミスタッチや楽譜にない音を出したり、テンポが遅かったりするので、良い評価をしない人もいることは確かです。
しかし、一般の人から見ると、正しい楽譜は知らなくても、楽譜にない音をだしても、 フジコの弾く音やメロディを聞いて心を打たれる人が多いのです。
フジコ自信も、楽譜と少し違っていることも承知のうえ、 一音一音に魂を込めて引いているとのことです。
フジコヘミングさんのピアノは、 人々の心を揺さぶるような魂のこもった演奏をしているのでしょう。
フジコヘミングさんのすごい魅力とは、 間の取り方がうまく、情感あふれる詩で、感情に訴える力があり、味わい深い演奏を奏でてくれる最高のピアニストということではないでしょうか。
フジコヘミングの経歴詳細について
フジコヘミングの幼少時代
- 東京音楽学校(現在の東京芸術大学)出身のピアニストである大月投網子とロシア系スェーデン人画家・建築家のジョスタ・ゲオルギー・ヘミングを両親としてベルリンに生まれました。
- 5歳の時に日本に移住したが、父は日本に馴染めず家族3人を残してスウェーデンに帰国してしまいます。
- 以来、母と弟と共に東京で暮らし、母の投網子の手ほどきでピアノを始めます。
- 10歳から、父の友人だったロシア生まれドイツ系ピアニスト、レオニード・クロイツアー氏にも教えを受けます。
- クロイツアー氏は、「フジコはいまに世界中の人々を感激させるピアニストになるだろう」と絶賛していた。
フジコヘミングの学生時代
- 17歳の青山学院高等部在学中、ラジオに生出演し、天才少女と騒がれました。
- 東京芸大在学中には、NHK毎日コンクール入賞、文化放送音楽賞など多数受賞します。
- 東京芸大卒業後より、本格的な演奏活動に入り、渡辺暁雄指揮による日本フィルなど、数多くの国内オーケストラと共演します。来日中だったサンソン・フランソワは、日比谷でのフジ子のショパン及びリストの演奏を聴き絶賛しました。
- 28歳でドイツへ留学し、ベルリン音楽学校を優秀な成績で卒業しました。
- その後長年にわたりヨーロッパに在住し、演奏家としてのキャリアを積みます。その間、ウィーンでは後見人でもあったパウル・バドゥラ=スコダに教えを受けます。生活面では母からのわずかな仕送りと奨学金で何とか凌いでいたという、大変貧しく苦しい状況が長らく続きました。
- フジコは「この地球上に私の居場所はどこにもない…天国に行けば私の居場所はきっとある。」と自身に言い聞かせていたと話しています。
- その間、ウィーンでは後見人でもあったパウル・バドゥラ=スコダに教えを受けます。
- 今世紀最大の作曲家・指揮者の一人と言われる、ブルーノ・マデルナにウィーンで才能を認められ、彼のソリストとして契約したことは、フジコが最も誇りにしていることのひとつでした。しかし、リサイタル直前に風邪をこじらせ(貧しさで、真冬の部屋に暖房をつけることができなかったためとしている)、聴力を失うというアクシデントに見舞われ、やっとの思いで掴んだ大きなチャンスを逃すという憂き目を見たのです。
- 失意の中、フジコはストックホルムに移住しました。
- 耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得て、以後はピアノ教師をしながら欧州各地でコンサート活動を続けます。
- 現在では、左耳は40%回復しているようです。
フジコヘミングの帰国後のブレイク
- 母の死後、1995年に日本へ帰国し、母校東京藝大の旧:奏楽堂などでコンサート活動を行います。
- 1999年2月11日には、フジコのピアニストとしての軌跡を描いたNHKのドキュメント番組、ETV特集『フジコ〜あるピアニストの軌跡〜』が放映され大反響を巻き起こします。「フジコの演奏をもっと聴きたい」という視聴者からの要望が殺到し、番組は幾多に及び再放送され、さらに続編「フジコ、ふたたび〜コンサートin奏楽堂」も放送されました。
- 1999年8月25日に発売されたファーストCD『奇蹟のカンパネラ』は200万枚(2012年4月現在)を超える売り上げという、クラシック界異例の大ヒットを記録し、いまだにその記録を更新し続けています。これまで2枚のCDで日本ゴールドディスク大賞、4度にわたる各賞のクラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞しました。
- 2000年以来、モスクワフィルハーモニー管弦楽団、ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団、ハンガリー放送交響楽団、ベルギー国立管弦楽団、イギリス室内管弦楽団他と共演しました。
- 2001年6月には、ニューヨーク・カーネギーホールでのリサイタルに3000人の聴衆が会場を埋め尽くし、感動の渦を巻き起こしました。集まった聴衆からは「マリア・カラス以来の大盛会」と絶賛の声が絶えず、大成功とともに演奏活動の幅を世界へと広げるための第一歩を踏み出したのです。
- 2003年10月17日に、フジテレビ系で波瀾万丈の半生がテレビドラマ化されました。スペシャルドラマ『フジ子・ヘミングの軌跡』はフジ子役を菅野美穂が演じて、20.1%の高視聴率を記録しました。
- 2007年より現在までワルシャワショパンフェスティバル、パブロ・カザルスインターナショナルフェスティバル、ソフィアインターナショナルフェスティバルなどから招待されています。その他この10年にわたる世界中の伝統あるコンサートホールでのソロ公演や世界の第一線で活動する著名オーケストラ、ロイヤルフィルとの共演は枚挙にいとまがありません。彼女と協演した際、ミシャ・マイスキーは“忘れ得ないピアニスト”、マキシム・ヴェンゲーロフは“あなたの芸術を賞賛します”と形容しています。その他共演した多くのアーティストから絶賛されています。
タギ―レーベル発足
- 2012年には、ビクターやユニバーサルの名門レーベル・Decca Recordsから数多くの名盤をワールドリリースしてきたフジコですが、ついに自主レーベルである「ダギーレーベル」を設立します。これは、フジコ自身がリスナーに届けたい曲を、納得できる音質で録音し、世界に発信するという本人の音楽に対する強い決意によりために設立されたのです。
- 毎年、世界各地でコンサートを行っていますが、2019年3月8日にはパリの有名コンサートホール「Salle Gaveau」でリサイタルを開きました。
公演活動で多忙を極める中、猫や犬をはじめ動物愛護への関心も深く、長年の援助も続けています。また、米国同時多発テロ後の被災者救済のために1年間CDの印税の全額寄付や、アフガニスタン難民のためのユニセフを通じたコンサート出演料の寄付、3.11東日本大震災復興支援チャリティーコンサート及び被災動物支援チャリティーコンサートといった支援活動を続けており、こうした人や動物を愛し支援する事を忘れない人間味溢れる人柄も多くのファンを魅了してやみません。
まとめ
フジコ・ヘミングのプロフィールや魅力、経歴についてお知らせしました。苦労を重ねて実力をつけたピアニストフジコは、高齢にもかかわらず全国でコンサート活動を続けています。いつまでもピアノで感動を与え続けてほしいと思います。